何度でもアダムの向こうの君に恋をする
何から書こうか。
どうしよう。
評論家にはなりたくないし、他の誰かの世界観を壊したいわけでもない。
わたしはわたしの世界観を壊されることがすごく嫌いで、小説で読んだものは実写で絶対見ないというくらい頑固者だ。
だから、プリシラ信者の方はどうぞお帰りください。人の世界観を壊すことだけはしたくないのです。
[お見送り]ョ・д・o){回れ右!
わりと回数見たけど、他の舞台ならこれだけ見てたらほぼ全部のセリフを覚えられるはずなのに、興奮なのか歳なのか(たぶん、間違いなく、歳)今回は覚えられていない。
舞台中にここを覚えておこうって何度も思ったのに、思い出せない。
わたしはもしかしたら長い夢を見ていたのかもしれない。
以下わたしの勝手な感想。
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わたしが、「アダムよかったね」って本当にほっとしたのは幕が落ちるその瞬間だった。
ティックはマリオンとの人間愛を再確認し、ベンジーからの無償の愛を受け、自らの生きる意味を見出す、というか自信を持つことができた。
バーナデッドは、ボブと結ばれる。
ボブはわりと主要な人物のため、人となりが描かれており、徐々に愛を育んでいくから、どことなくホッとして信用して見られた。
砂漠の中でバーナデッドが結ばれ、カジノでティックが愛を認識し安定していく中で、それでもまだアダムの愛が見つからない。
ベッドルームに向かうティック、シャンパンで乾杯する2人を見送るアダム、あの切なそうな背中。
報われなさに、いつまでトゲトゲして生きればいいのかとわたしが切なくなっていた(ここでも過保護系ヲタク)
エアーズロックで、ドラァグクイーンとしての夢が叶ったという一方で、彼の愛を探す旅の終着点はどこなのかって胸が痛くて。
ここで、「隠れゲイ」と結ばれたとはしゃぐ彼だけど、そこには安心できなくて。
「トランスジェンダーに興味があっただけなのよ。意外とそういう人多いの」が隠れゲイのウェイターだったらどうしよう。なにせ人となりが描かれてないから、また一時のさみしさ紛らわせのためだけで傷ついたらどうしようって終われないよこのままじゃって切なくてたまらなかった。
よく、注目のミステリーなどである最後の一行で物語が覆されるストーリーがある。
わたしにとってはまさにそれだった。
ベンジーが飛び込んだ先がアダムだったから。
子どもが飛び込む先が実の父ではなく、アダム。
これでわたしの中のすべてのモヤモヤが解決した。
子どもには、嘘もごまかしもきかない。
子どもが、安全基地として選んだ先がアダムだった、アダムはこれから、愛の意味を知り直していくんだなって。
そして、それを知り得るだけの資質が備わってることをベンジーが教えてくれた。そして、無条件の愛を与えてくれるのがベンジーだと。その瞬間隠れゲイの彼ともし万が一のことがあっても、アダムは大丈夫だろうって思えた。
緞帳が降りる瞬間、ようやくわたしはほっとした。
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「悪い子じゃないわね、とってもわかりづらいタイプだけど」っていちばん感じたわたしの大好きなシーン。
ボブの膝の上に乗ってバタバタして、バーナデッドを見やるシーン。
あれこそ、アダムの不器用さを前面に出した最高のシーンだと思ってる。
あれは、バーナデッドが傷つかないように、でもその愛(優しさ)を、アダム自身が気づいているか、いないかはわからないけど、バーナデッドに気づかれないように、確かめたと感じたの。
「ボブ、ストレートの男がえらいなんて思ったら大違いなんだから」だっけ?
膝の上に座りながら、ちらっとバーナデッドを見るんだよね。
あれはバーナデッドは「もう!!」って気持ちになるけど、そんなことバーナデットは聞けないし、素直になりきれない自分の気持ちに気づかされるだろうし、ボブにもバーナデッドを大切にする覚悟はあるかを確認している。あれはNOという答えが来たら少なからずもアダムも傷つくシチュエーションだ。そこに突っ込んでいってしまうアダムの大きな愛情。
でもたぶんちょっとだけ、バーナデッドに優越感を抱いたかもしれない。(ここが♪傷つけることしかしなかったに繋がるピースの一つだと思う)
無条件の愛を与えられてこなかったアダムが、不器用ながらも愛を伝えるこのシーンが大好き。
引っ掻き回してるように見えて、彼なりの不器用な愛情表現に感情移入をせずにはいられない。
(同様のシーンはティックとベンジーのショー後のやりとりに「おかしいって…」と突撃するところ)
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「傷つけることしかしなかった」と歌うけどしれないけど、それは「他人」をではなく「自分」をだったんだろう。
きっとこの先、人も自分も大切にしていくんだろうな。
大好きなティックにも、弱さを見せられず、ティックの結婚の話を聞いた時も、なんでもないふりをして、でも、その顔と翼のとれた飛行機に戻る歩き方は切なくて。
ようやく、弱さを認めて他人を、そして自分を受け入れることができたのは、バーナデッドの腕の中だった。
ちゃんと言葉で「あなたは悪い子じゃないわ」と伝えてもらえて、ひどいことを散々言って怒らせたのに、味方をしてくれたことで、「愛」を感じ、甘えられる場所を見つけられたのかな。
その前に弱い自分を受け入れてしまったら、母に捨てられ、身体を売らされてきた人生を受け止めきれなかったのかもしれない。
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以下は、敬多くんとリンクして、好きなシーン
いちばん好きな衣装は虹色のヘビ。
あのときの動きはアダムだけど、しっかりLeadのKeitaがいる。腰を一回一回入れるところ、重たい靴を履いていても足が上がるところ、動きにキレがあるところ。(あと純粋に背中と胸元の汗がセクシーで、あぁ敬多くんがそこに生きてる、存在している尊いと思えた)
それからボブの過去のバーナデッド回想シーン。
あのシーン、アダムは目をギョロリと上手側に寄せて暗転するのだけど、ずーーーっと前列からオペラグラスで覗いていたら(本当に気持ち悪いのは置いておいてよ!)瞬きもほぼしないで、一点を見つめてる。目がキョロキョロなんて絶対しない。(あっ、ヒアレインあげなきゃ!って思う過保護かつひどいドライアイのわたし)敬多くんはいつも舞台では一瞬たりとも気を抜かない。役を演じているのではなく、その人としてそこで生きている。
あとチアガールの時も好き。
最初のほうはリップが色づかなかった気がするけど中盤からは色がついたよね?
あそこのヒップダンスで、積極的にスコートをめくる彼はさすがだと思う。あー敬多くんだなって思った。
そのあと、ステージに上がって、足を広げるシーンでは顔もベーってしてる。一つ一つ細かい。
ビーサンのときにグレーの五本指ソックス履いてたのもかわいいけどあれは衣装なの?自分で履いてきたの?いつもグレーに見えたけど洗濯はしてる?同じの?
オープニングの登場のマドンナはとんでもないわ。ほんとに女性でしかなかったし、とてもセクシー。
でも下手側で、左右への動きの時にいっつも一瞬Keitaだった←
その瞬間を見るのもひそかな楽しみだった。
黒の衣装に変わるとき、あれはおっぴーの部分が前に突き出してる衣装だけど、後半、アダムの胸がそこに向かって本当にあるようにふっくらして見えたんだけどさすがにそれはびびった。
あと、夏はもっと腹筋がバキバキだったろうに、少しウェストにお肉が乗るくらいに仕上げたのもさすがだなーと。たしかに6パックじゃお腹出た時に強すぎるもんね。(あと昔から敬多くんの肋骨大好き大好物)
視線の投げ方、指先のしなやかさ、腰の振り方、お尻の張り方、すべてが女性的でしかなかった。
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日に日に色気を増すアダムに、観に行く度に驚かされ、カテコになって、半分くらい顔を出す敬多くんにホッとする毎公演。
わたしは何度でもアダムの向こうの君に恋をした。
アダムを通して見る敬多くんのことを、1秒ごと好きになった。
カテコで急にふにゃっとしちゃったり、頼りなかったり、日に日に首が荒れていくところも、全て、すべて、愛おしかった。
この空間がずーっと続いて欲しいとは決して思わないけれど、それでも愛おしい人がさらに魅力的になっていく姿はずっと観ていたいと思うと同時に、古屋敬多として生きる敬多くんをきっとこれからもずっと好きでいるんだろうなって強く思わされたミュージカルでした。
(パンフレット買ったけど、その場で人に貸してしまってまだ読めてないのでいろいろあやふやなところはお許しください。)
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以上、異常な過保護ヲタの半分以上勝手な解釈のブログでした。
わたしはミュージカルや舞台はもともとあまり興味はなくて、好きな人がでてるものしか見ないので、あまり技術的なことや専門的なことはわからないから、変なこと書いてたらごめんなさいね。
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もし何か思うところがあったらdmでもなんでも教えていただけたら幸いです。
どろこより、たくさんの愛と尊敬を込めて、
アダムへ。
あんまり上手じゃない(カメラのせい!カメラのせい!!)写真も一応ね。
追記✎︎
ホットスタッフの峰不二子衣装も大好きでした。